「ロートラーの手稿」~PICK UP ARTIST!~
PRESENTED BY ZAKK

更新日07.11.09 コメント:0件 トラックバック:0件

「ロートラーの手稿」とは・・・?

■今では死語となった?「ロートル」と天才レオナルド・ダ・ヴィンチが晩年に執筆した「レスター手稿」からなる造語です。ロートルは年寄り、老人という意味の中国語(実際の発音はラオートルというらしい)です。昭和の半ばごろの日本では年寄りの呼称ではなく、自分のことを自嘲的に表現する時に良く使われていました。中国語では「老頭児」と書くのですが、元来、老人を指すという意味で使われていただけではないことが良く分かります。老獪さと子供心の両方を兼ね備えている言葉なのでは?
「オヤジ」と言う響きを少し若々しいイメージで表現するために「ロートラー」という言葉が生まれた。「レスター手稿」は、新しい手法でモナリザの微笑みなどの名画を描く一方で、優秀な「科学者」「数学者」として斬新なアイディアの持ち主であるダ・ヴィンチが、天文学・流体力学・地球物理などに関する考察を、デッサンと鏡面文字で書き記したノートのことです。この「ロートラーの手稿」は、老頭児の精神性とダ・ヴィンチの独創性が合体したような音楽萬話と思って戴ければ幸いです。

■さて、今回の「ロートラーの手稿」は「鬼才BASIST、JACO PASTORIUS」をお送りしたいと思います。
どうぞ、暇を持て余している方は読んで見て下さい。

JACO PASTORIUS(1951年12月1日~1987年9月21日)

20071109rotarar3.jpg弦をボイル?するベーシスト!
■ジャコ・パストリアス(本名はJohn Francis Pastorius Ⅲ)アメリカ、ペンシルバニア州のノリスタウン出身のいわずと知れた希代の名ベーシストです。そして、今なお彼を崇拝して止まないミュージシャン、音楽ファンはたくさんいるのです。天才と狂人は紙一重といいますが、まさにそんな狭間で一時代を重く駆け抜けたアーティスト!36歳でこの世を去ってしましましたが存命であれは今年56歳。もし生きていればどんな音楽を今我々に聴かせてくれただろうか?それを考えると・・・。

とことんストイックな一面と酒もドラッグにも嵌る側面を持ったカオス的性格。その破天荒なライフスタイルはどことなくカリスマっぽさをかもし出しています。それだけでもどこか惹かれるものがありますよね。彼のサウンドはもちろんのことルックスもファッションセンスも抜群。彼が生み出す音は間違いなく唯一無比。常にクリエイティブでわくわくさせてくれます。冒頭の弦をボイルするという部分も彼のサウンドへのあくなき拘りからくるものです。※真意のほどは定かではありませんが、ジャコ曰くこうすることによって弦の安定度が違ってくるということらしいのです。

■さて、ジャコを良い意味でメジャーにしたのはウェザー・リポートの三代目ベーシストとして加入し、そこでプレイしてからのことです。それ以前ももちろん音楽仲間、事情通の間では高い評価を得ていました。基本はジャズですが彼のプレイはジャンルを超えたものでありまさにジャコイズムが早い時期から確立されていたのです。


■もともとジャコはドラマー出身でしたが、フットボールの練習中に右手を怪我しドラムを続けられない状況になってしまいベースに転向しました。この頃にエレクトリックベースのフレットを抜いてフレットレスベースを自ら造ったと言われています。因みに改良されたベースは1962年モデルのフェンダー・ジャズベース(勿論、フレットのついたベースもちゃんと弾いています)。レコードデビューは1975年、ブラッド・スエット・アンド・ティアーズのドラマー、ボビー・コロンビーのプロデュースによる「ジャコ・パストリアスの肖像」です。そして翌年にウェザー・リポートの正式メンバーとなっています(前任は懐かしいアルフォンス・ジョンソン)。1981年にはワーナーとソロ契約し1982年にはウェザー・リポートを離れ自らのバンドで活躍をするようになります。しかし、この頃からドラッグに溺れ躁鬱病に悩まされる日々が続くのです。入退院を繰り返す日々を送ることになったわけですが、ライブ活動は細々ながら続けていました。マイク・スターンやハイラム・バロックなどとセッションをしていました。

20071109rotarar2.jpg■ジャコの天才ぶりは次の時系列的な流れでわかっていただけると思います。ベースを始めたのが1967年の夏(当時15歳)なのですが、なんと僅か6年後の1973年の春からはマイアミ大学で臨時講師としてベースを教えているのです。そして2年後にはデビューアルバムを出しています。この短期間でどうやってベースをあのレベルまで極めることができたのか~?
※因みに、天才といえばパット・メセニーも10代の時にギターを大学で教えていたとか・・・。その時の生徒の中に確かアルディメオラがいたらしい(このあたりの真偽のほどはちょっと自信なし)。彼はいかに速く弾くかの鍛錬をしていたそうな。とにかく、ジャコの1日は一般人の5倍くらい長いのではないでしょうか。まあ、これは才能以外の何物でもないでしょう。

何と表現して良いのか?悔やんでも悔やみきれない最後...

■そして、問題の1987年9月11日の出来事が起こります。悪い意味でこれもジャコ神話を有名にしました。ジャコの地元フロリダ、フォート・ローダーデイルに来ていたサンタナのライブに飛び入り出演しようとしたところ、追い出されてしまい(どのような形で追い出されたのかは筆者には不明。知っている方がいれば教えて下さい)、失意の中でナイトクラブ「ミッドナイト・ボトルクラブ」に入ろうとしましたが、ここでガードマンと乱闘。不運にもそれが原因で意識不明の重体になってしまい昏睡状態が続きました。そしてどうにも回復のメドが立たないということで9月21日、家族同意のもとで人工呼吸器が外されました。享年36歳。あれほどのアーティストがこんな終わり方をするなんて・・・。残念でなりません。


■ジャコが残したアルバムはいずれも素晴らしいものばかりですが、敢えて2枚のアルバムを挙げろと言われれば・・・、「ヘヴィー・ウエザー」とジャパンツアーのライブ盤「TWINS~ライヴ・イン・ジャパン'82」を挙げたいと思います。ウェザー・リポート在籍時代と脱退した後、自分の音楽を確立するためにツアーに出た時のものという位置づけとなった感じです。聴き手のスタンスによって変わってくるので、どのアルバムを推奨するかは人それぞれ違うでしょうが、少なくとも初めてジャコを聴くなら、またもう一度ジャコを聴きたい人にはお勧めです。何年経とうがジャコのベースは、音楽は色あせていないことを再認識するでしょう。

weatherreport20071109.jpg■へヴィー・ウェザーの中の1曲「バードランド」はとりわけ分かりやすくストレートにジャコの心地よい、緊張感のあるベースがすっと体に中に入っていく感じがたまりません。

twins.jpg■また「TWINS」はどの楽曲ということよりもジャズを常に意識したジャコの姿勢が素直に表現されている点に共感が持てます。ブレッカー兄弟の兄ランディ・ブレッカーやボブ・ミンツァーが参加しているのも嬉しいところ。ボブといえばブレッカー弟マイケルから影響を受けたテナーサックスの名手でイエロー・ジャケッツにも参加したことがあるジャズ、フュージョンプレイヤー。

breckerbro.20071109.jpg※さて、ブレッカー兄弟と言えば兄はトランペットのランディ・ブレッカーで弟がサックスのマイケル・ブレッカーで2人とも超絶テクニックの持ち主で素晴らしいアルバムを出していますが、その中でも「へヴィー・メタル・ビ・バップ」はとにかく文句なしに凄いアルバムです。1978年と今から28年も前にリリースされたものですが、まさに音楽は時空を超越するものだなあと実感させられる楽曲が一杯詰まっています。これは一聴の価値ありです。

■最後にこのJacoのPLAYを観て下さい!


ここで演奏されている曲は「Teen Town」という曲で前述した「Heavy Weather」のアルバムに収録されています。さすがライブで見るとジャコのプレイの凄さに加え、そのスタイルのかっこ良さもググッと迫るものがありますね!

□■Jaco Pastorius,Weather Report,The Brecker Brothers■□

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